消えゆく鉄道'04 その2

名古屋鉄道 三河線

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名鉄もどんどん路線が寂しくなっていくが、ついに今度は非電化路線全廃となる。
三河線の両端が無くなるのだ。
もともと電化されていたものが、合理化のために架線を取り払われて、ディーゼルカーでの運転となったのだが、それはつまり元々お客がいなかったからで、結 局今回の廃線は運命だったのかもしれない。
個人的には、車両が近代的なので、あまり興味が湧かなかったのだが、実際竹鼻線とかのときもそんな理由で行かなかったのだが、名鉄最後の気動車というのな ら、まあ行ってみようと言うことで出動したわけである。そもそも古い車両じゃなきゃ、なんて言ってても、いまどき古い車両使ってて廃止が近い路線なんてほ とんど無いわけだが。

そんなことはさておき、年度末の年休消化と、ぐずついた天気の様子をうかがいながら、3月26日に取材を決めた。
懸念された雨は、到着時までしとしととやっていたが、行動開始時から雲が切れ始めてきた。
まずは一発目、三河御船駅にやってきた。駅前となる空き地には、桜の木がたくさん植わっていて、満開になったらさぞかし綺麗だろうが、この日はまだまだ固 いつぼみだった。この後、最終日までにはギリギリ咲くだろうか。
三河御船で顔合わせ

次は、一つとなりの枝下駅だ。なまえのとおり、しだれ桜が有名(らしい?)。しかし駅の周囲には桜は無く、代わりにプランターに植わった花が、彩りを添え ていた。
手入れの行き届いた駅

ここからは、終点のほうに向かって、線路に沿いながら進んでいくことにする。車両は新しくとも、風景は非常にローカルで、良いムードだ。

三河広瀬駅に到着した。今日は平日で、ちょうど通勤時間帯だ。背広を着たサラリーマンが列車を待っている。この線路の行く先には、一大自動車工業地帯が控 えているのだ。
クルマの街へと向かう  学生も利用

駅舎は大きいものだった。かつては交換もできたようだ。交換のための線路の跡が、ホームの脇に少しだけ残っていた。
 立派な駅舎だが窓ガラス がない

三河広瀬の次は、もう終点だ。その終点を目指して車を走らせる。この辺の線路は山の中を走っていて、道路から見えな
い部分も多い。名前の通り、「山線」を感じる場所だ。
あぜ道の踏切 山間を行く 

さて、我々も山道を越えて、終点、西中金駅に着いた。
駅前は国道に面していて、車を停めにくいのだが、すぐ近くに空き地があったので、そこを拝借。
 木造の渋い駅

そして線路際で列車の来るのを待った。
しばらくすると、列車は山から飛び出して、土手を降りてきた。そして西中金のホームへ滑り込んだ。
土手を降りてきた  延伸叶わなかった終着駅


ホームにはやっぱり鉄なお方がうろうろしているが、結構地元の人も乗っている。
といっても、その人たちもお別れ乗車的な感じで、恒常的利用者かと言えばそうでもないようだ。
みんなでお別れ乗車


終点での撮影を終えたら、こんどは今来た道を戻っていくことにする。
途中にある鉄橋も、若干光線状態が良くなったようだ。
といっても一日中逆光の場 所・・・

そして山線の起点である、猿投駅に着いた。意外にもホームはふつうの乗客でごった返していた。
乗客はかなり多い

さて、今日は一日で三河線両端を回らねばならない。なので猿投駅の様子を撮影後、碧南へ向かおうとする。

ところが、駅で地元のおばあちゃんに声を掛けられた。


「しだれ桜行ってみた?私らも日曜に汽車と一緒に写真撮ろうと思ってる」

ああ、枝下駅近くの国道沿いにあったあれですか。でもいまいち線路とは遠いような…それにまず咲いてなかったし。
まあいいや。碧南へ向かってレッツ&ゴー!



・・・しかし気になる。

彼女の言っていた、小学校のところ、と言うのがひっかかるのだ。
一応ナビで確認してみる。筆者が思っていた小学校とは・・・名前が違うではないか。
しかもその小学校近辺にはまだ行ってないのだ。

これは行ってみるしかあるまい。時間はまだ10時台だ。これが1時間遅れても大勢に影響はないだろう。

住宅街の狭い路地をうろうろすると・・・あったあったありました!
確かにこれは立派な桜だ。
すでに地元のご婦人が、桜の写真を撮られている。
彼女は我々の姿を認めると、声を掛けてきた。

「どうやってこの桜のことをご存じに?」

駅での経緯を話すと、なるほどねーと言った感じだ。
どうやら、地元であるそのご婦人ですら、存在を知らなかったらしい。というか、地元でもあまり知られていない木のようだ。去年知ったときはもう葉っぱだっ たと、ご婦人も、さっきのおばあちゃんも言っていたから、最近移植されたのかもしれない。場所も住宅地の入り組んだ奥の方で、車ではなかなか来にくい場所 だからかもしれない。
しかしこ れ、列車からは当然よく見える。ということは、ある意味、地元の人がいかに利用していないかの証明にもなるエピソードでもあり、複雑な思いがした。
 すばらしい桜だ

それはともかく、桜と列車を絡めて撮る。ご婦人も、そう言う撮り方もあるのねーと、我々のまねをして、あと数日の命の列車をフィルムに収めていた。

さて、名残惜しい山線ではあったが、時間の都合、もう反対側の端、碧南を目指すことにする。
約35キロ、車で1時間ちょい程度の道のりだ。

しかし道中、猛烈な眠気が我々を襲う。そりゃそうだ。未明3時頃到着して、6時頃から撮影始めていれば無理もない。

どうにか三河旭駅に着いたが、Y君はそのままお休み。しかし筆者は目が覚めてしまった。仕方ないので歩いて近くのコンビニへ、と思ったら、

列車キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
 のどかな昼下がり
Y君は残念ながらこの列車を撮ることができなかった。

この駅でしばし休憩しながら、作戦を練る。
すぐ近くに大きな川がある。矢作川だ。ココを渡る列車を撮ろう。
名鉄の名所のひとつ

そして移動するまもなく、その列車が碧南から折り返してやってくる。
 碧南の碧い空

その後は徐々に東へ進みつつ撮影していく。
三河楠駅では、小さな子供に最後の思い出を、と考えたのか、たくさんの親子連れが、最後の乗車をしていた。
さよなら、みかわせん

そのそばには立派な神社がある。菅原道真公の分社だったか?筆の神様がまつられていた。
参道の向こうに


つづけて寺津駅。ここは見ただけ。
その隣の西一色に行ってみよう。ここは高校が近い。わんさかと学生の乗車シーンがあるかと期待していたが、春休みなので女の子が一人私服で待っていただけ だった。
重厚な民家と並ぶ


三河一色駅は、中間部としては最大の規模の駅ではないだろうか?交換施設こそ廃されているが、かつては旅行センターもあった駅舎は、かなり堂々とした風格 だ。乗客もそれなりに多いようだ。
 大きな駅前広場も持つ 列車を待つ人々


さて、日もだいぶ傾いてきた。そろそろ撮影も終盤に入る。
松木島駅のちょっと先が、また鉄橋になっているようだ。そこを目指す。
しかしなかなか川岸にアプローチできない。列車の時間はどんどん迫ってくる。
迷路のような港町を抜け、ようやく土手上に出たとき、列車はすでに去ったあとだった。
仕方ないので40分ほど仮眠して、次の列車を待つことにした。
わたる風はまだ寒い

一気に桜の花を開かせるような今日の陽気も、4時頃にもなれば吹く風が冷たい。しかもここは河口近く。海からやってくる風が寒さを増すが、白い中州がたく さん現れた川は、この路線で一番「海線」らしい場所でもあった。
夕日にむかって去る列車    あと数日でお別れ

ここで上下2本撮ったら、フィルム最後の撮影に向かおう。
筆者の脳内ダイヤでいくと、途中の三河平坂で列車交換があるはずだ。時間的には、そこにぎりぎり間に合うか、と言うタイミングだ。
しかし、距離的にも想定した時間には間に合わなかった。とりあえず降りて駅を見よう。で時刻表もちらっと…
ってオイまだ来てないじゃないか!てゆーか俺の脳内ダイヤが完全に間違ってる。
この三河線海線では、日中は列車交換がないのだ。感覚的にすごく長い路線のような気がしていたが、実際には十数キロしかなく、1時間に1往復ではぜんぜん 交換の必要などないダイヤである。
とにかく、その列車の時間も近いことから、撮影を準備、すぐに列車はやってきた。
 夕闇迫る三河平坂駅


しかし、交換必要なしとは言っても、この駅は廃止区間で唯一交換施設が残っている。
朝のラッシュ時はここで交換するようだ。そのさらに脇には廃止になった待避線もあり、かつて貨物もあった頃はかなり賑わう駅だったと想像できる。

ということでフィルムも終了、帰る準備をする。しかし、どうやら帰りがけにもう一本会合できるかもしれない。デジカメがあるのでそれで撮影を試みる。
しかし、残念ながら松木島駅に着いたとき、すでに列車の姿はなかった。
 松木島の踏切


とりあえず終点吉良吉田を訪ねてみる。大きくカーブしている蒲郡線と尾西線のホームに、横からまっすぐつっこんだ形で三河線のホームがある。
駅前にはテントが立てられていた。おそらく、さよならイベントの準備だろう。それがなんともいえずもの悲しかった。
 吉良吉田駅  寂しい構内

そんな感じで、三河線廃止区間の取材を終えた。列車こそ近代的で面白みはないが、その沿線の情景は逆に全く手つかずで良い雰囲気である。昭和テイスト満載 のこの線 路も、あと数日でお別れと思うと、ちょっと残念である。


海線で最初に着いた三河旭駅で、廃貨物ホーム下の線路跡に、地元のご婦人が立っていた。枯れ草を歩きながら、通っていく列車を見送っていた。その姿は遠目 にもとても寂しそうだった。
彼女だけではない。今回の取材でとても目に付いたのが、地元の人たちが列車にカメラを向けている姿だ。どの人もとても名残惜しそうだった。そういう姿を見 ると、廃止ということが、ことさら残念に思えてくる。それでも、こうして地元の人に愛されていたというのが実感できるだけでも、幸せな路線だったと思うべ きか。
そんなことを思いながら、帰路についた。豊川でのY君のスロット打ちたい攻撃を無視しつつ。

 最後の時をかみしめて


04.8.17

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