消えゆく鉄道'06 その4

くりはら田園鉄道・鹿島鉄道

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今回の冬休みが、2006年度における最後の長期休暇となる。
いままで探訪を計画しつつもなかなか実現できなかった、くりはら田園鉄道を訪れる、最後のチャンスである。
そしてせっかく東日本に向かうのならば、これも最後となるであろう鹿島鉄道にも立ち寄りたい。


ということで、年末の会社最終日である12月28日、仕事を上がったらY君と合流し、冬の東北へと旅立った。


ETC深夜割引を利用して東北道をひた走る。
最後にくりでんを訪れたのは、電化廃止の直前であるから、干支も一緒の12年前になる。
その後も北海道旅行の折りに、4号線から架線の外された線路を眺めることは何度かあったが、結局立ち寄るのは今回までかなわなかった。

高速の威力は絶大で、どうにか日の変わる前に若柳インターを出ることが出来た。
そのままくりでんを跨ぐ東北道のガード下で就寝。



明け方は猛烈に冷え込んだ。寝袋一枚ではかなりきつかった。
7時頃に起床。朝焼けが美しい。寒さをこらえて取材を始めた。

まずは最寄りの大岡小学校前駅に行ってみた。
土ばかりの田園が広がるが、ここに水の入る頃には、もう列車は走っていない。

 大岡小前駅   怪しいアイコン


 朝焼けの中を



若柳駅は、くりでんの車庫がある大きな駅である。

 若柳駅    数名の乗客

構内には懐かしい電車が留置されているが、みんなボロボロである。電車のとなりに見える貨車は、今現在、現役では日本最古の鉄道車両だという。

 プチ博物館だ

裏手にはくりでんの本社らしき建物があった。ひっそりしているが現役なのだろうか?

 本社社屋?

若柳駅では、今なお現役で残る、数少ない腕木式信号機を見ることが出来る。
あちこちのローカル線で見てきた腕木式信号機も、いよいよ残り少なくなってきた。
これも今回記録に収めておくべき重要な対象だ。ちなみに腕木の下にあるランプは進路表示器で、これを備えた腕木式信号機は、くりでんにしか残っていない。

 進行現示



上り方向に移動しながら、各駅を訪れつつ、撮影。水田が雪解け水に朝日を反射して眩しい。

 新町駅   きらめく枯田



そしてこの鉄道の起点である、石越駅に到着。
前に来たときと全く変わらない雰囲気を保っている。

 石越駅   起点の証


 まだ「電鉄」が残る    往く道を見すえて


ここから終点に向かって歩を進めてゆくことにする。
大岡駅は今は1面1線の無人駅だが、かつて交換が出来た駅のようだ。
草に埋もれた対向ホームや、広い幅の架線柱がそれを今に伝える。
現在のホームの下には、軽便時代のものと思われる低いホームが横たわっていた。

 大岡駅構内   軽便時代の名残?


沢辺駅にやってきた。ここは列車交換が行われる駅だ。
昭和を色濃く残すたたずまいは、非常に美しい。そしてこの駅にも腕木式信号機が。

 沢辺駅   タイムスリップ


 シルエット   スローガン空しく 


 駅の門番だ

近くのマックスバリュで腹ごしらえをしたら、駅に出入りする列車の様子を撮影した。

 腕木に見送られて   4号線をくぐってきた



次の津久毛駅にやってきた。駅舎に入ろうと近づいてみると、駅の玄関には全然違う会社の名前が。どうやら駅舎は民間に払い下げられたらしい。横に増築され た二坪ほどの部屋が待合室となっていた。

 津久毛駅は左端

津久毛駅にはもう一つ見所がある。それは電鉄時代の変電所跡だ。今でも建物は残っているが、気動車化された今は当然使われておらず、廃墟然としている。

 電線は残るが…   朽ちていた


杉橋駅で時刻表を見ると、ちょうど上り列車が来る時間である。雪が激しさを増してきたが、平行する道路橋から狙うべく、カメラを構えて待つ。
が、一向に来ない。10分ほど待ってこれはおかしいと一旦車に戻ると、地元のおじさんが声を掛けてきた。曰く、「列車の来る時間でもないのになんで待って るのか不思議だ」。
あれ?印刷した時刻表が間違ってる?と、駅のホームの時刻表で確認。なんと土休日のみ運転である。結局上着と靴をびしょびしょにしただけだった。

 雪降りしきる杉橋駅



栗駒駅に到着。駅はコンクリート造りの立派なものだ。
しかし駅舎の中はなんとなく閑散としていた。壁に貼られた地元の児童が書いたメッセージが涙を誘う。

 栗駒駅前   ありがとう、くりでん


隣の栗原田町も、かつては多くの乗降客があったのだろう、片面ホームにもかかわらず大きな駅舎が構えていた。

 栗原田町駅


この両駅の間に、名所の一つである鉄橋がある。しかし雪も激しく、写真もいまいちになってしまった。

 露出が厳しい…



さてさらに雪の激しくなった中、終点方向へ向かっていく事にする。
雪は尾松駅付近でピークに達したが、その後は少しずつ小降りになっていった。

 山を降りてきた   雪の尾松駅


鶯沢駅の隣にかかる鉄橋で列車を待ち、撮影。

 二迫川を渡る


この鶯沢駅もかつての交換駅だ。ホームには信号てこの名残であるピットが口を開けていた。

 広い構内の面影   信号機の遺構が



終点細倉マインパーク駅に到着した。着いたときは雪も積もっていたが、天候は見る見るうちに回復。いつしか天気雨になっていた。
マインパークに行ってみると、どうやらこの近くで映画のロケをやったらしく、そのセットが残されているらしい。
行ってみると、なにやら昭和の町並みが。さすが映画美術、一瞬本当にその時代のものかと見紛うくらいの出来だった。相変わらずの雨の中、しばし散策する。

 細倉マインパーク駅   マインパークも閑散



 こんな案内が・・・    セットを見学できるとは




さてそうしているうちに列車の来る時間となった。旧細倉駅に登る最後のS字で列車を待つ。

 ラストスパート   細倉駅跡を抜ける

ここはかつての終点である、細倉駅の跡でもある。駅舎は払い下げられて転用されているため、今でも現役当時の面影をよく残している。
ホームに立ち、ここを訪れた17年前の冬に思いを馳せる。

 旧細倉駅舎   駅名標も残る



すこし山を下りて、また列車を待つ。
しかし、待っている間は日照があったのに、ちょうど列車の来るときだけ雲がかかった。今回の撮影ではこういった運の悪さが何回も襲ってくるのだった。

 いまいち。   寒そうな雰囲気だが・・・

 夕闇迫る栗駒連峰へ



田んぼの中で一本撮影したら、もう日没である。撮影の締めは、沢辺駅にした。
腕木式信号や、そこを通過する列車を長時間露光で撮影する。雨上がりで濡れた路盤がますます幻想的だった。

 沢辺駅進入   月と腕木

 夕闇に呑まれていく


これでくりはら田園鉄道の撮影はすべて終了。ETC半額のあいだに高速を出来るだけ走りたいが、当初の予報でもあったとおり、今晩から大荒れの天気にな る。東北道も事故や吹雪の影響で、郡山の手前で通行止め。磐越道も通行止めのままである。仕方なしに一般国道を走ったが、こちらもかなりの降雪でペースが 上がらず、移動に思いがけず時間を食ってしまった。


途中、鮎川を通過。日立電鉄はどうなったかと思い寄り道してみたが、もう跡形もなかった。桜川駅も、ホームの部分が盛り上がっているだけの荒れ地になって いた。鉄道とはこうもはかないものなのか・・・。

 鮎川駅跡




なんだかんだで鉾田には0時前には到着。すぐに空き地を探して就寝、翌朝を迎えた。

さすがに茨城南部まで来れば寒さも緩んでいる。起き抜けてすぐ、宿泊地のすぐそばで、走ってきた列車を撮影。

 朝もやを抜けて

その後、巴川駅に移動する。まだKRしか来ないようだ。

 巴川駅   丘を降りる


近くの鉄橋に移動して待っていると、今日の本命600形がやってきた。

 いらかを背負って

すぐに鉾田へ移動しようとしたが、鉾田での時間があまりなさそうなので、巴川駅に戻り、ここの利用者無料駐車場に車を置いてホームに上がった。

鹿島鉄道はこれで4回目の訪問となるが、一度も乗車したことがなかった。
最近はどこへ行ってもあまり実際に列車に乗ることが無くなってしまった。これはローカル線故に本数が少ないなどの理由もあるのだが、本来ならば多少なりと も運賃を払って撮影対象に貢献するべきだとは思っている。
今回は、さらに大きな理由として、日本最古の現役気動車に乗ってみたいということがあった。キハ601は、戦前生まれの古参ディーゼルカーだ。

 ホームで出迎え


整理券を受け取って車内に入る。車内は10名程度、我々も含めすべて鉄ヲタだ。
深く沈む柔らかなシート、重厚な走り、これが戦前の車かと疑うほど、その乗り心地はいいものだった。

 手入れされた車内


 クラシカルな運転台   やわらかな空間



わずか3駅乗って玉造町駅で下車。このあたりから一般客も多くなってくるようだ。
KRと交換して、600形は去っていった。

 石岡へ遊びに


玉造町駅はコンクリ造りの割と大きな駅だが、今日は無人だった。駅前商店街、といっても駅から相当歩いたが、商店でパンを買い、駅で食べた。

 玉造町駅

 関東鉄道の字が   こっちには国鉄が

 腕木時代の信号小屋も残る

Y君がゴミ箱を見てさわいでいる。キハ714と書いてあるツートンの缶。そういえばもう一つの缶も半分緑色だったな・・・と思って見てみると、キハ431 と書かれている。なかなか小ネタが効いていると思った。

 しゃれたマネを


さて432が来るかと思ったが、予想は外れて、やってきたKRにそのまま乗って巴川まで戻る。

 KR同士の交換   車内は近代的


ここからは再度車で移動だ。
借宿前との間の踏切で待つ。・・・思いも掛けず緑のツートンが。キハ431だ。これで鹿島全てのディーゼルカーについて、走行を収めることが出来た。

 キハ431   青天が気持ちいい


その返しを狙うべく、我々は浜駅付近の立体交差に移動。下りの600形が通過していくのを撮ったら、土手の反対側に移り、切り通しを抜けてくる431を撮 影した。

 撓んでませんか?   いい塗装だと思う


とりあえず一段落したところで、飯を食うことに。
鹿島探訪では何度も世話になった、桃浦近くのホットスパーで焼きうどんを購入し、食っていると、なんとキハ432が走って行くではないか。
これの戻ってくるのをどこで撮るか悩んだが、結局一番撮りやすい桃浦駅付近に落ち着いた。

前回も訪れた、開業時からそのままの姿で残るガードで撮影。大正生まれの銘板も誇らしい。

 戦前同士   大正15年と読める

そしてこの近辺で、霞ヶ浦をバックに走る姿を撮ることにした。

 筑波山を背に   そろそろ日も落ちて

 シルエット

 夕日の中


最後に日没と同時に撮影できるかと思ったが、わずかに列車の方が遅かった。その代わり、思いも掛けず、富士山とのツーショットを撮ることが出来た。

 ここで見れるとは



こうして鹿島鉄道の撮影を終了し、今回の全日程を終えて、我々は帰路に就いた。
個人的には、ノスタルジックな車両が多く現役だった鹿島鉄道の廃止は大変残念だ。しかし趣味的立場のみで存廃問題を語ることは烏滸がましい。せめて迷惑を 掛けず、静かにその最後を見守りたいと思う。

そしてそれ以外にも味のある鉄道が多く消えていく、平成18年度。いろいろなものが思い出にかわっていった、忘れられない年になるであろう。


07.3.8

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