消えゆく鉄道'95 その2

函館本線

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 9月22日夕刻、我々は突如、平井堂会長に出発承認を申請した。

 「今から小樽に行って来る。」 「どこの小樽だ?」

 会長は瞬時には理解できなかったようだ。それもそのはずだ。その日の夕方に突然これから北海道へ行くと言っても、俄に信じろと言う方が無理だ。まったくスケジュールのない行動、それが平井堂の良いところである(ほんとか?)。

 深夜0時、Y君の本社到着を待ち、道内にはわずか十数時間しか滞在しない北海道取材行が始まった。 まず、目指すは新潟港である。

 新潟港へ向かう理由は、もちろんフェリーだ。新潟−北海道間の航路は、概して低料金である(青函航路とほとんど差がない)。また、自動車での走行距離も大幅に低減できるため、車で北海道へ向かうのには、このプランを強く推奨する。

 今回は  今回の機材は、取材には初供用となる、平井堂所有のRX-7号が充当された。航続距離が短く、長距離撮影には不向きとされているが、フェリーにより、総走行距離が短くなること、高速機動性が重視されることから、 初の投入となった。

 車は関越道に乗るべく、東へ進路を取る。出発が深夜であり、事前に仮眠を取ってあったものの、関越道の一定したペースには、きつい睡眠を誘われ、非常に厳しいものであった。

 朝もすっかり明け、長岡インターから一般道に下りる。新潟到着は、8時頃と、高速に乗っただけの余裕を持つことができた。

 乗船手続きを済ませ、周辺の街で燃料・食糧を補給。程なく出航時間を迎える。

 新潟発小樽行き「フェリーあざれあ」、定刻の出航であった。

 9月ともなると、旅行客は極端に少ない。定員15〜20人のコンパートメントを、我々二人で独占している状態だった。旅行者にはやはりシーズンオフの旅行をおすすめしたい。

 小樽に到着するのは、朝4時ごろだ。9月とはいえ、北海道の朝はすでに晩秋の趣である。小樽港での美しい朝焼けをしばし観賞後、まずは5号線を西へ向かう。

 まず仁木駅に立ち寄った。朝の風景を走る列車は、非常にすがすがしい。

仁木駅を出るキハ40

 今回の撮影のメインは、もちろんC62 3による「ニセコ」号だ。時間的にはまだまだ余裕がある。しかし、このわずか一往復の列車のためにはるばる渡道してきたのだ。失敗は許されない。入念なロケハンを行う。

 先月も撮影をしている以上、同じ構図はなるだけ避けたい。そこで、まず最初のターゲットとしたのは、銀山駅だ。S字を描いて勾配を登る、非常に絵になるところを発見。ねばる。

 そして待つこと約1時間、遠くから、低い汽笛が響いてきた。さあいよいよだ。大概警笛が聞こえてから列車が目の前に現れるのには時間がかかるものだが、カメラを降ろすわけには行かない。じっと構えたまま、待つ。

 そして、列車がフレームに入ってきた。やはり太いボイラのC62は迫力が違う。

勾配を登る「ニセコ」号

 ここでショッキングな出来事に遭う。なんとY君の撮影していたビデオテープが、ほぼ全編にわたって傷ついてしまったのだ。原因はキャプスタンローラの脱落。我々の気運も脱落。今までの記録内容がほとんどダメージを受けてしまったのだ。無念。 

 上りは1本撮ってしまえば終わりだ。気を取り直してニセコ駅に向かう。ここでは、機関車の方向転換が行われる。対岸の山から俯瞰で撮影後、ニセコ駅へと下りる。

 もう駅のにぎやかさと言ったらない。ターンテーブルへ向かう引き上げ線に沿って、黒山の人だかりだ。

 それをかき分けて、転機の様子を撮影した。

全影。 シールド灯が特徴的

にぎやかなキャブサイドは北海道型の証バックビュー

 

 このころにはすっかり気温も上がり、夏の陽気に逆戻りだ。給炭の係員も、陽炎に揺れていた。

給炭作業 ホーローのサボと駅名板が懐かしい

 

 さて、発車時刻を迎える前に、下り列車の撮影点を探す必要がある。SLはやはり勾配に挑む姿の方が迫力がありそうだが、どうも今日は煙の量も少なく、いまいち期待した画がとれない。それならば、と、森林を進むイメージで場所を探したのがここだ。

森を下るC62

 木漏れ日を縫って来る列車を撮りたくて、ここを選んだが、これは失敗だった。日が傾いて思うような光線が得られなかった上、下り坂のため、列車は惰性でだらだらと下りてくるだけだ。やはり変なことは考えないで、素直に倶利伽藍峠に行けば良かった。

さて、列車の通過を待って、ダッシュで車に戻る。いまから「追っかけ」だ。車は国道の路肩に止めてあるので、すぐに本線復帰し、C62の煙の残り香を追いかける。列車は小沢駅で少々停車するので、この駅を出たところで追いついた。

そこからは、ただひたすら列車を引き離しにかかる。こういうときには、「この車で来てよかったなあ」と思う。羊蹄山を右にみながら、目標の駅までかっとんで行った。

目標の「塩谷駅」に到着。ここでは前回跨線橋の上から撮影を行ったが、今回は線路に下りて撮ることとした。

ここは小樽の一つ手前で、交換列車があり停車時間も長いため、たくさんの鉄ちゃんや見物客でにぎわっていた。その中をかき分け、とりあえずホームに上がって列車到着を待った。

西日が赤くなって来る頃、「ニセコ」は到着した。ホームの雰囲気と相まって、一気に20年くらいタイムトリップしたような気分でもある。

塩谷駅構内から ゴーグルがかっこいいぜ

 ここ塩谷駅でのハイライトは、なんと言っても、発車シーンであろう。鉄ちゃんのほとんどはこのためにここへ来てると言っても過言ではない。よって小樽側の駅構内端は、黒山の人だかりだ。我々もそれをかき分けて、いい位置を陣取る。

汽笛一声、出発だ。黒煙がもうもうと立ち上がり、ブラストが徐々に早くなっていく。蒸機で一番いいシーンだと思う。

猛烈な黒煙とともに

Y君はビデオを回していたが、ちょうどいいところで周囲のおやじが「カーッ!!」と痰を吐いてしまい、その音がばっちり録音されてしまった、と憤慨していた。ビデオマンには気を使いましょう。

 

さて、ここから先は市街地に近いので、追っかけは無理だ。だが、一応小樽駅へと向かう。

小樽駅はすでにもぬけの空だ。列車はいない。しかしここで諦めてはいけない。我々は小樽築港駅に向かった。そう、「回送列車」である。

C62と旧客は小樽からは別々に回送される。C62自体は無火で回送されるから、大しておもしろくないが、客車の方はこれがなかなかよい。DE10の牽引は、往年の久大本線でも思い出させてくれる。築港駅東のトンネル上から、夕日に染まる回送列車をねらった。

回送列車

さあ、これで北海道での用事は全て終了。今朝着いたばかりだが、もう帰りのフェリーに乗らなければならない。帰りは東日本フェリーを取ってあるので、岩内からだ。5号線をまた戻る。

 そして岩内フェリーターミナルで見たもの。それは、

「欠航」

の2文字であった。折しも台風が接近しており、日本海は大荒れだという。おい〜、こんな最果ての地で、どーすんだよー……

と、途方にくれていても仕方がない。あさってには普通どおり出勤しなければならないのだ。

とりあえず、船に乗るには、函館へ行くしかない。日本海側に沿って、函館へと向かった。しかしここで、大きなミスをした。給油をしていなかったのである。道中この時間にやってるスタンドなどあるわけがない。このときほど燃費の悪いこの車を恨んだことはない。スピードを60kmに固定、夜間であることもあり、出来るだけ停止・加速をしないように気を使いながら、やっとの思いで函館に到着したときは、涙が出るほどうれしかった。

 台風が来ていることもあり、船が動いているかどうかが心配だったが、どうやら大丈夫のようだ。深夜0時出航の便に乗ることが出来た。

 翌朝4時に青森に着いてからは、また一般道をしこしこと走る。しかし、ずっと下では、体力的にも時間的にもつらいので、花巻インターから東北道に乗った。ここで、驚異の燃費10km/lを叩き出すという快挙を成し遂げることに成功した。この車でこんな燃費を出すあたり、さすが貧乏で名の通った平井堂鉄調班である。

無事帰社したのは、まだ少し明るい18時頃であった。とにかく車が車だけに、非常に疲れた取材ではあったが、無理してでも撮影に行った甲斐があったと思わせるほど、C62は魅力的だった。旧客とのコンビ復活はもうあり得ないが、またいつか本線を走る姿を見てみたいものだ。

97.7.7

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