消えゆく鉄道'96 その1
●札沼線
年末年始は必ず家にいるという定説を破った昨年の旅行から一年。今年の年末旅行は、ちょっと無茶をしてみることとした。
冬の北海道に車で行くのだ。
とはいえ無茶をするのはいつもの通りY君。筆者はナビしてればよいので問題はない(その考え方が問題)。
その目的はなにかと言えば、雪道を走りたいというのもないわけではないが、本題は札沼線のキハ53だ。今冬限りで札沼線ワンマン化のために引退となる。
出発は95年もとっぷり暮れた30日夕刻。長野から直江津へ。室蘭行きのフェリーを目指すのだ。
かくして、今年通算5回目、そして3冬連続の北海道へと旅立った。
直江津から室蘭までの航路は初めて乗るが、特にこれといったこともなく順調に船は進み、明けて大晦日の夕刻、船は薄闇の室蘭港へ滑り込んだ。
車でタラップをこわごわと降りるとそこは雪国だ。当然といえば当然だが、冬の北海道に我々は少々緊張していたことは否定しない。
しかし、順調に北上して札幌に着くころには、余裕も生まれてきた。ここで我々はアルペンにお買い物に入る。
そう、じつは今回もう一つのイベントがある。筆者のスノボデビューだ。
雪の柔らかい北海道なら痛くなかろうと言うことで、今回はスノボにチャレンジだ。というわけで、ブーツを現地調達と相成ったわけである。
まあそれはともかく、程なく札幌に着いた。駐車場に車を突っ込み、すすきのへゲームをやりに行ったりなど、ちょっと寄り道。そしてふたたび、石狩の平野へ向かって再スタートだ。高架の上を、札沼線の最終列車が走っていく。
国道275号に入る。いよいよ道路も完全圧雪道路だ。凍結よりはまだいいが、やはりここは慎重に……
と思ったらY君70キロほどでがんばっている。あまり無理すんな、と声をかけようと思った瞬間。雪をまき散らしていく車に追い越された。その車はライトエース。どう見てもオッチャン仕様だ。我々はしばし呆然となり、改めて北のドラテクを痛感した。
さて、北海道に来たらラーメンだ。
国道沿いにあった、まったくふつーのチェーンのラーメン店に入った。しかしこれがうまい。なにがうまいって、雪景色の中で食べるラーメンだ。筆者は、ラーメンのうまさは、食べるシチュエーションだと常々思っている。(いわゆる飲んだ後とか冬の屋台とか、そんなヤツだ)
石狩月形を過ぎた。いよいよ撮影地が近づいてきた。
ロケは、昨年の想い出の駅、豊ヶ岡をメインに計画している。まずその駅まで行って様子を確かめる。
駅は、車では既に入れない状況だ。Y君を車に残し、一人雪道を歩いて駅に行った。
豊ヶ岡駅は、去年とまったく変わらない姿で筆者を迎えてくれた。懐かしい駅ノートもそのまま残っている。と思いきや、去年絵を描いたページ、破ってもってかれてやんの。うれしいような悲しいような。そんなときはもう一筆、ということで、除夜の鐘響く中、ノートに一人向かう筆者の姿があった。
タングステンが優しい
車に戻ると、Y君は既に寝ていたが、叩き起こす。時間は23時55分。いよいよ96年がやってくる。0時を廻り、年が明けたところで軽くあいさつを交わしたら、さっそく寝る場所を探すことにする。
雪もすごいので、道路から近く、埋もれて脱出できなくならないような場所を選ぶ必要が有ろう。月ヶ岡駅まで戻って、広い駐車場でお休みなさいだ。
そんなこんなで、1996年の朝を迎えた。新年明けまして一発目の撮影に入る。まずは昨夜の豊ヶ岡駅に行ってみる。
今年の初ショット 雪の中でも目立つ色
次は札比内駅だ。片面ホームがひとつあるだけの駅で、札沼線ではごく標準的なタイプの駅でもある。
日中でも薄暗い
巻き上げた雪が着く
知来乙駅を見渡す雪原で撮影。
車での撮影は、待ち時間が暖かくていいのだが、それでも撮影時のわずかな時間で手がかじかむのが北国だ。とにかく震えでぶれないように集中する。
雪原から現れた
石狩当別から終点の新十津川の間は、キハ53の単独運用だ。来る列車はぜんぶコレなので、なにも悩まずに時刻表どおり撮影すればいいから、その点は楽である。
知来乙に到着
しかし1列車行ってしまうと、モーレツに暇なのも札沼線。筆者はおもむろにキャリアから板を取り出し、あきれるY君を後目に道路でスノボの練習だ。そのうち除雪車がやってきて、筆者のゲレンデは粉砕されてしまったが。
Y君、「ちょっと豊ヶ岡寄りで撮りたい」と言い出したと思ったら、筆者を残し、車で行ってしまった。筆者はコートをかぶり雪ん子状態で列車を待つ羽目になる。よくよく考えたら今日は元旦。なんかさみしい気持ちがよぎるがそれは無視してひたすら列車を待つ。
石狩月形付近
列車が過ぎてからしばらく経ってY君帰還。で、結局また豊ヶ岡へ向かう。
跨線橋から
ここでカメラが電池切れ。AE-1が使う電池は4LR44。しかしこんな土地に写真やなんぞ有るはずがない。それどころか今日は元旦。仕方ないのでコンビニへ行く。
当然4LR44なんてエキセントリックな電池が売ってるはずもない。売ってるのはおなじみのSR44だけだ。
…えーい仕方ない、SR44四つおくれっ!
だが所詮違う規格、四つ重ねても4LR44の長さには足りない。
そこで、筆者はおもむろにダッシュボードを開けた。そこにはY君の戦利品、板チョコが入っていた。銀紙を剥いて、電池のすきまに銀紙を詰め込む。蓋を閉めてバッテリーチェック。「ぴぴぴ」といい音がなった。これで応急処置は無事完了だ。しかし「応急」と言っておきながら、このまま3年使ったことは内緒だ。
ふたたび駅までアプローチ。雪をたっぷり頂いた小屋は、ムード満点だ。
駅舎 ホーム全景
寒さが伝わる風景
女の子が降りてきた。で、親父さんが迎えに乗ってきたのはスノーモビル。なんかかっこいい。
家路につく親子
周囲も暗くなってきた。いよいよ撮影も終わりだ。近くの跨線橋から、停車する列車をバルブで撮る。まかりなりにも新品電池なので、キッチリ撮影できた。
暗闇に煌々と灯る
これにて夜を迎え、札沼線の取材は終了した。
雪深い北海道のローカル線は、えもいわれぬ雰囲気を持っている。一回来たらまた来たいと思ってしまうのは、当然の心理であろう。特に札沼線は、森の中あり平地ありで、路線の表情も豊かだ。筆者のもっとも好きな路線のひとつである。キハ53亡き今、車両的魅力は薄れているが、路線の雰囲気は、まだまだいいものを持っている。石狩当別から先の存続は厳しいものがあるが、願わくば、いつまでも残っていて欲しいものである。
去りゆく列車と残されたホーム
00.12.3
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