消えゆく鉄道'96 その4

小野田線・久大本線

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 夏休みまっさなかの8月11日20時14分、一台のワゴン車が、平井堂本社へ横付けされた。機材を積み込み、あわただしく出発準備を整える。天気予報では、台風の襲来を伝えている。現在の位置は、沖縄の南方のようだ。

 今回の我々の取材先は、その台風の通過予定コースである、九州は阿蘇地方だ。目的地は、久大本線。ターゲットは、もう数えるほどしか残っていない、貴重な存在である、客車普通列車だ。

 ワゴン車のパイロットは、N君だ。この車での初の長距離鉄チャン行軍となる。その性能を試すには十分なシチュエーションだ。

 かくして、車は西へ向かって進路をとった。

 …が、沼津市立病院でUターン。電話を忘れてしまったのだ。しかし、当時の東海デジタルホンは西日本でのローミングサービスがなかったため、持ってっても意味のないことに気づくのは、現地に着いてからであった。

 そんなことはどうでもいいが、車は驚異的なペースで西へ向かう。今回初めて名阪国道を利用したが、なぜ今までここを通らなかったのか悔やまれるくらい、時間を短縮することが出来た。神戸到着が、今までより約1時間早い5時頃であった。

  おかげで、そこから先は従来の記録を更新しまくっていた。広島を正午の鐘とともに通過するなど、前回の九州行きからはとても想像できなかったことだ(ちなみに前回は一部高速を使って16時ごろだった)。

 夏の長い日差しと、このハイペースのおかげで、我々にひとつの選択肢が増えた。通り道である、小野田線へ寄り道しようという案だ。

 小野田線は、94年夏にも訪れてはいるが、JR最後の旧国定期運用路線であり、せっかく近くを通るのに寄っておかない手はない。我々は2号線に別れを告げ、一路セメントの街へと向かった。

 小野田線のうち、旧国クモハ42が走るのは、本山支線と呼ばれる、たった二駅しかない区間だ。まずその始発駅、雀田を通過。クモハ42の姿を視認。そのまま終点の長門本山駅に向かう。

 長門本山駅は、片面ホームにつっこむ小さな駅だ。すぐ横は草原(?)になっているような、のどかなところだ。

長門本山に突っ込むクモハ42
ワンマン運転だ
全影

 本山支線は、短い線のほとんどが切り通しや住宅街で、唯一広々撮影できるのは、途中の田んぼの辺りだけだ。ここを西日を浴びながら通過するクモハ42の姿は、本山支線のハイライトとも言える。

夕日を浴びて光る

 18時30分、夏の西日本ならばまだ明るい時間だが、先を急がねばならない我々は、またこの地へ来ることを約束しながら、再び本州の西端目指して走行を再開した。

 関門トンネルを抜け、国道10号を南下する。この先はもうどうやって現地にたどり着いたか憶えていない。時間的にも、だいたいいつもこの辺りを通るころに強烈な睡魔がいらっしゃる。今回も例に漏れず、まさに潜在意識のみで運転していた。

 危険な行軍も間もなく終了する。我々は久大本線沿線に入ってきた。もう8/13に日が変わった後だった。今晩のビバーグサイトを引治駅と決め、車を回す。さすがに暑いので、今日は駅舎で駅ネしようと、車を降りた。

 その案は1秒で却下。おびただしい数の蚊の中で寝るなど、スキンガードのコマーシャル以外のなにものでもない。あえなく車にリターン、暑さをこらえて、寝る。

 予想外に涼しい朝を迎え、さっそく調査行動に移る。まずはロケハンを兼ねて、久大本線と併走する国道210号線を行ったり来たりする。…などとうろうろしていたら、頭上の鉄橋を、12系が通過。あちゃー。

通過する1821列車

 玖珠川沿いに走る久大本線、特に豊後中川から杉河内の間は、渓谷を走るその線路全てがポイントと行っても過言ではない。鉄橋を渡るすっきりした写真が多く撮れるのも、この区間のメリットだろう。まずは天ヶ瀬の西にある鉄橋で撮影。

鉄橋を行く1825列車

 相手が普通列車、しかも客車列車ともなれば、その速さというか遅さは、容易に想像できる。そういう相手は、即、追っかけだ。

 国道から見上げるところにある駅、杉河内でその1825列車には簡単に追いついた。

頭上の杉河内駅を出発

 そして、その先で線路をアンダークロスした後、サンルーフを解放し、走行中の車から撮影。ハイルーフ車の最大の利点である。

国道をわたる

 さらにしつこく追っかけ。豊後森の西側に広がる水田地帯まで先回りだ。細い農道でやはり屋根から顔を出して待っていると、これで3回目の顔合わせとなる、3両編成の12系がやってきた。

あいにくの曇天が残念

 このあと、1825列車は、夕方の1826列車になるまで、豊後森駅で長い昼寝だ。

 時間はまだ9時前。朝っぱらから派手な追っかけは、やっぱり疲れる。杉河内駅のすぐそばにある、水飛沫も涼しい慈恩ノ滝で、昼寝。向かいの鉄橋を、「ゆふ」が轟音を立てて駆け抜けていく。

 さて、間もなくお昼という時間だ。こんどは、はるばる鳥栖からやってくる、1827列車を迎え撃つ。昼寝場所から数百メートル東にある鉄橋の袂で、また屋根から身を乗り出して列車を待つ。

赤い機関車には赤い客車が似合う

 そして撮影と同時に、追っかけ再開。さっきの田んぼに向かうが、今度はちょっと方向を変えて、後追いでねらう。

豊後森へ滑り込む

 この列車も豊後森で昼休みだ。我々もその間にコンビニで昼飯を済ませる。昼飯の話しの後にこんな話しでなんだが、この辺のコンビニには、通称「板紙」と呼ばれる、平たい便所紙が未だに売っている。1000枚一パックになった、くみ取り式専用の、あれだ。非常に懐かしさを覚えた。

昼休み中

 そんな話しはさておき、列車が動き出す前に、今度は夕べ寝た、引治駅を目指す。この駅の大分寄りに、名所とも言えるカーブがある。そこで、こんどは1829列車と名前を変えてやってくるさっきの50系を待つ。

 まず、「ゆふ」4号が通過していった。

「ゆふ」4号

 しばらくして、遠くに列車の姿を見つけた。N君はこの鉄橋の辺りでカメラを構えているはずだ。

N君が見えるかな?

 そして間もなく、列車は、私の目の前を過ぎ去っていった。

久大本線のハイライトだ

 さて、今度は、由布院のさらに向こうまで行ってみることにする。

 しかし!線路ぎわで撮影に入ろうとしたとたん、ものすごい大粒の雨が!!

しのつく雨を縫ってきた1830列車

 車のリアゲートを開けて屋根代わりにし、そこから線路を狙う。もはやこうなるとワゴン車は鉄ちゃんの必須アイテムとも言えよう。構図的にはもっと線路に寄りたかったが、この大雨ではいた仕方あるまい。

 と、ここまでで太陽光のもと撮影できる列車は終わり。あとは、夜間のバルブ撮影予定までは、だいぶ時間がある。

 そうなったら、由布院くんだりまで来て、温泉に入らない手はない。我々は湯平温泉へ向かった。

 うーん、いい気持ちである。しかも、ここは外湯のため、そんなに高くない(というか、たしか気持ちをあらわす程度だったような…)。温泉はこうでなくちゃいかんと、常々思う。多少の湯の汚れは目をつぶろう。

 そして、湯布院町内にもどり、ナイスなものを発見。

 「湯布院地ビール」である。

 字は「湯」か「由」か忘れたが、そんなもん飲んでしまえば関係ない。1500円でバイキングということもあり、酒は進むつまみは進むで、とーってもいい気持ちになってしまった。

 まあそのあとどうやって夜の撮影地に行ったかは敢えて言わないが、我々は本日の締めくくりとして、野谷駅へ向かった。

 ここで、1831列車は、しばらく停車している。バルブ撮影でその様子を収める。

これこそ正統派「夜汽車」

 これで本日の撮影は終了。明日も朝からの撮影だ。往路の疲れをとるためにも、早く寝る必要がある。我々は、翌朝の一番の撮影予定地である、引治の名所に車を止めた。舞台中央、田んぼのど真ん中である。「寝坊したら、他の鉄ちゃんに大ひんしゅくだな」などと思いつつ、就寝。

 

 ……夜が更けるにつれ、外の木々が騒々しくなってくる。雨足も強くなってきたようだ。

 

 一夜明けて強さを増した雨の中、我々は早々にお立ち台へ向かい、朝一番の50系、1820列車を待った。

 …しかし、待てど暮らせど、列車は来ない。

 考えられる理由は一つしかない。その理由の真偽を確かめに、我々は、この辺りの中枢となる豊後森駅へと急いだ。そこで見たものは、

 

 「久大本線は、台風の影響により、全線運休しています」

 

予想通りの案内板が鎮座していた。

 もはや台風の進路になっているこの大分県に、天候回復の余地はない。それどころか、下手にとどまっていては、足止めを食らって、帰れなくなってしまう可能性もある。

 我々は、がっくりと肩を落とし、遙か遠く静岡県に向けて踵を返した。

 

 「…かならずリベンジ決めてやる…」

 心の奥底に悔しさを秘め、台風と同じ速さで、延々と大雨の中をむなしく帰っていった我々であった。

99.8.20

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