消えゆく鉄道'99 その1
●茨城交通・日立電鉄・鹿島鉄道
ついに世紀末1999年を迎えた。予言どおりなら、鉄ちゃんできるのも今年限りである。そんな重要な年の鉄初めは、田舎の正月の風景、その中を走るノスタルジックな車両たちを求めて、茨城県へと向かうことに決定した。
目的地は、気動車天国、茨城交通である。
現役で動くキハ10型を所有する同鉄道は、気動車ファンの聖地的存在である。未だその実物を拝んたことのない我々は、特に差し迫った廃線がなく暇な今年の正月、そこへ足を向けることとした。
出発は1/2夜。いつものとおり、Y君を本社に召喚し、出発。いつものとおりのルートで、首都高三郷インターを抜けた。その後はいつもなら6号の人となるのだが、お年玉気分なのか、今回はそのまま直進し、常磐道を爆走。石岡で降り、その先は6号線で、勝田へと向かう。
勝田についたのは、日も変わって1時ごろであっただろうか。まずは起点の勝田駅を徘徊するが、何もめぼしいものはない。とりあえず夜のうちにロケハンしようと、線路沿いに走り始めた。
が、なかなか良いポイントがない。結局終点の阿字ヶ浦まで来てしまい、ここで寝ることとした。明日の気動車天国を夢見ながら…
翌朝、列車のエンジン音で目覚める。窓の外を見ると、ホームにいたのは、いわゆる新型気動車。情報集めを何にもしていなかった我々が悪いのだが、もっとノスタルジックな奴が走っていると思い込んでいた我々は、列車を目視したあと、再び夢の中へ突入してしまった。
どうでもいいので、形式は失念
2度目の目覚めは10時ごろ。最近はすっかりこの車での睡眠も慣れて、二度寝もお手の物だ。しかし、まあ茨城くんだりまで来て昼寝しているわけにも行かず、とりあえず撮影をはじめることにした。
車両はともかく、シーナリーについては文句ないローカル度だ。
で、とりあえず来たからには、キハ10を拝んでおこうと思い、車庫のある那珂湊駅に向かった。
駅前に車を停め、駅舎内に入る。こちらもムードは良い駅だ。
関東の駅100選にも選ばれている
お目当てのキハ10は、車庫で昼寝中だ。
大本命は顔だけ
しかし、この駅には、かつてここを「気動車天国」と言わしめた所以の、数々の興味深い車両がある。それがこれらだ。
元羽幌のキハ22
羽幌炭坑鉄道から来たキハ22、ステンレス製のケハ600など、稼動状態にはないものの、貴重な存在でもある。
地ベタに降りたケハ600
さて、ここにいてもしょうがないと悟った我々は、もっとローカルさを求めて、別の鉄道に渡り歩くことにした。
ここから近くて、ローカルそうな線区。次のターゲットは、日立電鉄だ。 なんか、古い電車がたくさん走っていそうだ。
我々はそのまま進路を北に取る。そして、6号線を降り、大橋駅に到着。ここも小さいながらムーディーな駅だ。早速カメラを構えて、列車を待つ。
電車に乗り込む少女
………。
ここも新型電車であった。
めげずに、電車の集結している、終点の常北太田駅へ行く。
そこで目にしたものは、さっきと同じ、たくさんの新型電車であった。
またまたこれ以上いられないと悟った我々は、目的が達成できない虚無感に襲われながら、南へ戻っていった。
まだフィルムもかなりあまっている。せっかく足を延ばしたんだし、まあ鹿島鉄道でも寄ってみるか、ということになった。
鹿島鉄道は、数年前、台風の中はるばるやってきて、新型車両しかなくてがっかりしたところだ。もっとも、ロケーションは良いので、暇つぶしにと立ち寄った。
前回も来た、玉造町駅で、フィルムの消化をすべく、列車を待った。そこで来たものは……
逆光の中を現れたのは…
我々のテンションは一気に上がってしまった。たしかに旧型車が塗色復活したとは聞いていたが、運用に入っていると言う情報までは知らなかった。
キハ601によく似合うホーム
狂ったように追っかけモードに突入。しかしすでに時は夕刻。で、現地での運用状況を見ると、2列車折り返しのうちの1本が、このキハ601で運転していると判断した。日没までに撮れるのは、あと3本程度というところか。まず、借宿前駅へ向かう。ここもカーナビなしでは来れない駅だろう。ススキの中を走って、列車はやってきた。
夕日の枯れ野を行く
こちらは主力のKR-500
つぎは霞ヶ浦をバックに、列車を待つ。
霞ヶ浦に浮かぶシルエット
しかし、我々がにわか予想した運行とはやはり異なっており、来たのは新型車であった。
もう日も暮れたころ、無理して玉里駅で撮影し、とりあえず今日のところは撮影を終了した。
夕闇に向かう
しかし、今回ほど情報不足の行動を呪ったことはない。鹿島鉄道で旧車を運行しているのを知っていれば、一日そこで粘ったものを…。はっきり言ってもう一泊取材を延長したい気分でもあったが、その後のスケジュールもあるため、泣く泣く帰宅の途についた。
「絶対リターンマッチをかましてやる!」暮れゆく線路を後に、我々はこてこてラーメンを食べたのだった(結局最後はそれか)。
99.8.19
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