消えゆく鉄道'99 その3

新潟交通

<< 14

表紙 >>

 15 

 …が、フィルムが若干だぶつき気味だ。これを消化すべく、我々は追っかけモードに突入した。

 農道をかっ飛ばしていけば、あっという間に電車を追い越すことができる。味方の向こうまで行って、列車を待ち受けた。

 味方付近

 そして今度は、また曲から土手に入り、先回りだ。結局2回追いついて、コマをものにすることができた。ローカル線ならではの芸当だ。

 夕暮れの枯れススキがいいムード

 追っかけに熱中していたら、いつのまにか月潟のそばまで来ていた。そうなれば間もなく折り返しの列車が来るはずだ。それを本当の最後の撮影と決め、朝一撮影した地点のそばまで戻り、ラストのコマを撮り収める。

 ラストの一本  さらば新潟交通

 これで新潟私鉄の撮影行はすべて完了した。

 列車の過ぎ去った、まだ今日現在光を湛えるレールを見て、我々は感傷にひたらずにはいられなかった。

 

 かくして、新潟交通は、4月3日をもって、時刻表から消えた。しかし、ここまで敢えて書かなかったのだが、蒲原鉄道の方は、廃止が大幅にずれ込み、9月いっぱいまで存続することが決まった。残された日は少ないが、できるならばもう一度訪れてみたいと、強く思わされる鉄道だった。

 

 月潟駅のはずれで写真を撮っているとき、地元の老婦が声をかけてきた。ご婦人は、新潟鉄道の廃止を、大変残念がっていた。それはまるで自分の子を亡くすかのようでもあった。その話をしていたときのご婦人の、寂しそうな目が今も忘れられない。「電車の写真がほしい」といっていたのだが、今思えば、住所を聞いて送って差し上げればよかったと、少し後悔する。

99.8.26

<< 14

表紙 >>

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送