消えゆく鉄道'99 その3
●蒲原鉄道・新潟交通 前編
3月はお別れの季節である。
こと鉄道に関しても例外ではない。路線廃止、引退車両が多く出る季節でもある。特に、今年の3月は、私鉄ファンにとってはつらい春になったことだろう。
新潟から私鉄が消え去ってしまうときがついに来たのだ。
我々がこの情報を得たのは2月初めと、非常に遅かったため、スケジュールの調整に苦慮したが、廃線は待ってくれない。すきまを縫って、3/12〜14の日程で、取材を強行した。
今回の目的地は、蒲原鉄道、そして新潟交通だ。
3年連続で向かった東北に比べれば、まだ新潟は近いものだろう。静岡からなら、長野を越えれば次の県だ。しかし、実際に行くのにはそうは甘くない。新潟市のように北部の町へ向かうのは、実はかなり距離があるのだ。
加えて前日からの大雪の情報。弱気になった我々は、長野縦走をあきらめ、関越道を抜けることにした。
1号から129号、16号、17号と乗り継いでいく。下をどこまで走るか、我々の金策と体力の、絶妙な均衡を模索しながら乗ったインターは高崎。そこから一気に新潟を目指す。私も一気に夢の中だ(Y君すまない)。
三条燕インターでチェックアウト、私も危うくY君の怒りによって車からチェックアウトさせられるところであったが、危機を乗り越え、ほどなく蒲原鉄道の起点である、五泉駅を目指す。
果たして五泉についた。朝4時ごろであっただろうか。我々は宿営地を求めて線路沿いに走行した。
線路とまったく寄り添うようにして国道を走る。正直言って、この車との競合状態で、今まで残っていたのが不思議に思えたくらいだった。
結局4kmほど走った、終点村松駅の近くの、大ショッピングセンター前で仮眠。
朝8時過ぎ、起床。異常に暖かい。
はっきり言って前日の静岡のほうが寒かった。一気に春爛漫と言った陽気である。あれほど心配した雪は、ひとかけらも見当たらない。もっとも、太陽がさんさんと出ているほうが、ズームレンズしか所有しない平井堂鉄調班にとっては、この上なくありがたかった。
さて、村松駅そばの某所に車を停め、取材を開始。
村松駅は、蒲鉄が全線あった時代から車庫のある拠点駅としてその役目を続けていたため、コンクリート建築の割と立派な駅である。
すでに10名前後の鉄ちゃんがうろついている。我々も、車庫や留置線に停まっている電車たちを撮影した。
ここは、駅と車庫の間に、踏切がある。そのため、構内を撮影するのに非常に都合がよい。線路に忍び込んで駅員に怒られることもないというわけだ。
戻ってきた電車を撮ったあと、さてどうするかという話になり、どうせ距離も短い路線だし、いっちょ五泉まで電車に乗ってロケハンしようということになった。
改札で切符を買う。今はほんとに見なくなった、子供料金にカバーのついてる券売機が健在だ。
改札が始まり、乗車する。車内も鉄ちゃんが多いが、それでも一般の乗客も結構乗っている。ローカル線とはいえ、中高生や高齢者にとっては大事な足と言うわけだ。
電車は五泉へむけて出発。揺れも音もすごい。
途中の駅、今泉で数人が降りていった。
ムーディーな上屋だたった数分の電車のたびはもう終わる。大きくカーブを描き、終点の五泉駅に到着。ホームも看板も、ふた昔前くらいの造りである。
折り返し出発する電車を、お立ち台とも言うべき跨線橋から撮影したあと、我々は線路に沿って村松へと歩き始めた。
通過する電車を撮影しながら沿線をひたすら歩く。
今泉駅前のスーパーで食料を買いこむ。筆者はおおとろ握り寿司を奮発!Y君はY君で、惣菜を集めて中華三昧だ。今泉駅は、さながら食の祭典の様相を呈していた。しかしおおとろ7カンは、真昼間から食らうには重過ぎた。ふくれた腹を引きずりながら撮影再開だ。
歩いていれば、気づかぬうちに村松駅だ。昼下がりの日差しが、微妙な光線状態を作り出していた。
さて、ローカルムードは大変よいのだが、この短い路線では、いささか飽きのくるのも早いと言うものだ。空き地に車を停め、インターネットなどで遊んでいたが、そんなものは不毛である。
ならば、陽の落ちる前に、村松−加茂間の廃線跡を見に行こうということになった。
村松駅近くから廃線跡をたどる。村松を出て、数百メートル線路跡が見えるが、あとは道路化されており、車から電車の車窓を想像するしかなかった。
しかし、山も深くなる大蒲原あたりから、線路跡は道路の右手に見えるようになる。そして、その線路跡を渡る国道の上から見た景色は、かつて写真でしか見たことのなかった、高松駅のホームだった。
この景色に感動した我々は、さらに加茂へ向けて車を走らせた。山間部だけあり、たくさんの遺構が今なお残されている。七谷駅は、駅舎もホームも残っており、いい味が出ていた。
その後は加茂に向けて、市街色が強くなっていくのとひきかえに、線路跡はどんどん姿を隠してゆく。
もう線路跡調査も終わりかと思った、加茂まであと少しの地点で、我々はさらに感動的なシーンを目にした。
夕日に聳え立つ、陣ケ峯駅跡だった。
こりゃもう登るしかないと、勢いよく駆け上がっていったが、何せ荒れるに任せの廃線跡、いつ崩れるやも知れぬホームは、かなりスリリングであった。
とりあえず加茂まで行き(このときはなにも見つけられなかったが)、本日の蒲原鉄道の調査は完了した。
そして我々は、一路次の目的地、新潟鉄道へ舵を取った。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||